書歴

幼少より母・黄琳に書道の手ほどきを受ける。
1966年大道学院に入門、川上景年氏に師事。
教師免状、選奨、師範免状を取得。
光林書学院を開設。
審査員をつとめる。(1995年退塾)
北鎌倉にて書塾「てならいどころ」を主宰。
鶴岡八幡宮若手神職の書道指導をおこなう。
2018年 北鎌倉駅前にGalleryえにしを開設。
毎年秋に鶴岡八幡宮・直会殿にて一門展を開催。

読める、伝わる字を

文字を主体としている以上、観て下さる方に解かっていただきたい、感じていただきたいと願っております。
書は芸術だからといって読みようがない字は書きたくないと思っております。
漢字一字、漢詩文、短歌、俳句、現代詩文、いづれも同じです。 従って何を書くかが大切な課題になります。それをどのようにイメージし表現するか。百枚以上書いても納得出来ず諦めることもあり、始めの一枚で決まることもあります。 私の作品から、何かをお伝えできたらと常に願っております。

不器用

母が書道塾を開いておりましたので、小学校3年生の頃から否が応でも筆をもって座らされました。本音を言えば好きではありませんでした。 決して巧くはなく、他の子供達の方がずっと上手。先生の子なのにと言うひけめがついて回っていたような気がします。 血筋として悪筆の手です。母は努力の人。父は絵が好きで、色紙などに絵を描き歌を添えていました。魅力はあっても旨い字ではありません。兄は有名な悪筆。 よく人から「書家になったのは血筋がよいのでしょう。」と言われますが決してそうではなく、継続は力なりの言葉の通りです。 書道をずっと続けて今日にいたっております。不器用で整った字が書けず、大器晩成!六十歳を過ぎてからが勝負!!と心に決め、自らを慰め励ましてきました。 私は不器用だから上手に書けないと言う方がいらしゃいますが、不器用な人ほど習練すると味のある心惹かれる字になる、これは本当です。 不器用は大切な財産なのです。
そして「書は人なり」です。 母は私が十七才の時に逝去。その後、川上景年先生に入門。厳しい指導を受けた時は何度泣きながら帰路に着いたかわかりません。しかし、今になってみると先生の教えがひとつひとつ生きてきて感謝して居ります。

墨の色

色は全てを合わせると黒になります。従って墨はいろいろな色の可能性を持ちます。
書き手によって同じ墨でも微妙に違うのです。
楽器と同じかも知れません。